アレキシソミア 失体感症

体調不良で会社を早退した。

朝起きたとき、体調に違和感を感じた。出社をすると周囲の人に「今日大丈夫?」と次々に声をかけられた。なんでだか自分でもわからなかった。

 

幼少期、お腹が痛いことが多かった。楽しみにしていた用事の途中や親と買い物をしている最中など、それはときと場所を選ばず襲ってきて、困る場面や頻度の多さに辟易することが多かった。

身体があまり強くなかったため入院をした経験も多く、小学校にあがるまでに20回以上は経験したと思う。

 

体調が悪いときに、それを意識しないようにするクセがあることに、最近やっと気づけた。幼少期、体調の不良を訴えたとき親に「嘘をつくのはやめなさい」と怒られたことが多かったことが原因かもしれないと思う。

 

「お腹が痛い」「身体がいつものように動かない」

そう感じたとき、口にすることが良しとされなかったことで、体調の不良を訴えることが出来なくなってしまった。

 

「口にしない」

これは幼少期のわたしに与えられたルールでそうすべき事柄であった。だから、痛みや体調の不良を感じてもそれを発しないことややり過ごすことが私のやり方として定着した。38度の熱が出たり、痛みがひどすぎて動けなくなったとき、初めて周囲が異変に気づき、保健室や病院へ行くことを促されたり、時には無理に連れていかれた。

そういうものだと思っていたし、他人の発する「体調が悪い」という言葉も、大きな苦しみを感じてかろうじて発しているものなど思っていた。

 

脳機能の障害を患った23歳のとき、主治医とひどく対立したことがあった。

主治医は私が来院するたびに、「あなたの身体はもう働ける身体ではない、即刻休職か退職をしなさい」と言った。まったくもって意味不明だった。わたしは職場の誰にも体調の不良を悟られていなかったし、仕事の不備を指摘されることを繰り返したこともなかった。極端に言えば、誰にもばれずにうまくやっているのに休職をする理由が見当たらない、といった感じであった。

そのときの私は、一人になると身体が動かなかった。職場ではわたしは普通だったし、誰にも体調の不良を口にされたことはなかった。同じ事務の先輩と一緒に帰る帰り道も、楽しく帰っていた。しかし一人になると、身体が動かなくなった。歩けない、動けない。内臓を正常に機能させる脳機関も次第に狂い始め、体内は多くの支障をきたしていた。でも、わたしは対外的には何の問題もなかった。

 

こういう症状のことを、「失体感症」というらしい。

いまはいろんな症状や性格に対して、多くの便利な言葉が与えられていて、そのことにすごく感動を覚えるし、さらに言葉が存在するということは、当てはまる人がそれなりにいるということなんですね。

 

この辺に多くの課題や生きやすさへの近道があることは確かなんだけど、もう眠いのでまた今度にしよう。