アルミン
図書館へ行きました。
岡田尊司の著書が猛烈に読みたくて自転車を走らせました。
自転車を猛烈に止めて、検索機へ一直線。
5分後、それの前で私は立ち尽くしました。
そう、岡田尊司の著書が、置いてなかった。
貸し出し中とかそんな甘いもんじゃなく、そもそもその本自体がここにない…。
そして他に読みたかった、V.E.フランクルの諸々も、カズオ・イシグロの日々の名残りも、ない…。
エレンが初めて巨人化したあと、危険を排除するためエレンを殺そうとする駐屯兵団に対して、アルミンが高々と命がけで彼の戦術価値を説いたように、わたしも市役所の前で、この図書館の存在意義を説くことになりそうでした。
どうせないんだろうな、と思いながら、ここ1年くらいずっと読みたかった本を検索したら…なんと…検索に引っかかったうえ、貸し出し中ではありませんでした。そう私はアルミンにならずに済みました。
意気揚々と所定の本棚へと向かい、本を探していたとき、ふと懐かしい気持ちを思い出した。
小学生のころも中学生のときも高校生のときも、私は本が大好きだった。本を読み始めるときの、あの出発するときに似た気持ちや、読み始めると続きが気になって早く読んでしまいたい衝動、だけど一節も取りこぼしたくないあの感覚。いつだって授業を早く終わらせて本を読みたかったし、授業そっちのけで先生に隠れて本を読んでいたことだって数えきれないほどあった。休み時間に本を読んで、かまってくれない!と友達に怒られたことや、遊んだり部活をした帰り、充実感に満たされながらも、わたしにはまだ楽しみがあるのさと本を思い出してにやけた帰り道も、何度もあった。三大欲求の一つみたいに、読みたい衝動に駆られて、それを抑えるのが難しかったあのころを、本棚の隙間で思い出した。
読みたい気持ちをしばらく持ち続け、やっと出逢えた本を、近くのソファに腰かけて、開いてみる。プロローグだけでグングン引き込まれた。
ああなんで忘れてたんだろう、と思う。
今回読む本の舞台はドイツで、またあの映画観たいな~と今日思い出したその映画も、ドイツが舞台。そしてドイツ人の彼のことを思い出しました。
私の中では、「最高」と銘打ったフォルダに彼のことはしまわれていて、ときどき思い出しては甘美な気持ちになるけど、もしよろしければ、彼の中の「思い出」というフォルダの中の「過去」のさらに中の「容量が多くなってきたら削除する」フォルダくらいに私をいれてもらえていればな…なんて思ったりする。
読むぜ本
だけど素敵な~明日を願っている
日がのびてくるにつれて、希望が湧いてきた。夕日が沈み、雲がオレンジでいる時間が、どんどんずれていく。また少し、また少しと日々を追うごとに遅くなっていく。
Mr.Children「HANABI」Music Video
なんていうか、うまく言えないけど、日常生活を送るのってそれなりに大変なわけで、その大変なことを、協力して一緒に励ましあって生きていけるパートナーがほしいわけなんです。
お互い好きで向き合っていくって、それなりに努力が必要じゃないですか。お互い相手が嫌がることはなるべくしないように、そんでお互いがいることに感謝しあえながら生きていきたいんですよ。。もう最近それしかない。それがあればほかは頑張れると思うんですね。。
最近わかったことは、自分は不安定型愛着障害っていうのに当てはまるってことで、なんかいろんなことに合点がいきました。こうやって当てはまる言葉があるとやっぱり少し落ち着く側面はあって、あとはそれなりに解決方法というか改善の仕方も調べることが出来たのは、なんていうか、良かったことかなあ。でもこうつらつらと、「それに対してはこうしていくといいです~」みたいなのが書いてあっても、それが出来なくて苦しいんだよ?っていう気持ちになって、さらにできない自分にも嫌気がさしてスパイラルに陥るということがあります。
一つすごく実践していきたいことは、自分の感情に耳を傾けること。
他人の顔色をみてそれに合わせた行動をとることが正解だと信じてきたことによって、自分の感情が見えにくい、というか、どこで怒っていいのか、辛いと言っていいのかわからない、ということを最近やっと受け入れました。極端に言えば、自分が不愉快になったことを伝えて他人が離れていくくらいなら、自分が我慢して黙っていてでも他人にそばにいてもらいたい、ということをずっとやってきました。限度はあるけど。
自分の声を聞いて、それに沿って行動した結果、今よりも周りの人はもしかしたら減るかもしれないけど、でも今よりもずっと、生きやすいのかもしれない。
フカフカまくら
情緒
アレキシソミア 失体感症
体調不良で会社を早退した。
朝起きたとき、体調に違和感を感じた。出社をすると周囲の人に「今日大丈夫?」と次々に声をかけられた。なんでだか自分でもわからなかった。
幼少期、お腹が痛いことが多かった。楽しみにしていた用事の途中や親と買い物をしている最中など、それはときと場所を選ばず襲ってきて、困る場面や頻度の多さに辟易することが多かった。
身体があまり強くなかったため入院をした経験も多く、小学校にあがるまでに20回以上は経験したと思う。
体調が悪いときに、それを意識しないようにするクセがあることに、最近やっと気づけた。幼少期、体調の不良を訴えたとき親に「嘘をつくのはやめなさい」と怒られたことが多かったことが原因かもしれないと思う。
「お腹が痛い」「身体がいつものように動かない」
そう感じたとき、口にすることが良しとされなかったことで、体調の不良を訴えることが出来なくなってしまった。
「口にしない」
これは幼少期のわたしに与えられたルールでそうすべき事柄であった。だから、痛みや体調の不良を感じてもそれを発しないことややり過ごすことが私のやり方として定着した。38度の熱が出たり、痛みがひどすぎて動けなくなったとき、初めて周囲が異変に気づき、保健室や病院へ行くことを促されたり、時には無理に連れていかれた。
そういうものだと思っていたし、他人の発する「体調が悪い」という言葉も、大きな苦しみを感じてかろうじて発しているものなど思っていた。
脳機能の障害を患った23歳のとき、主治医とひどく対立したことがあった。
主治医は私が来院するたびに、「あなたの身体はもう働ける身体ではない、即刻休職か退職をしなさい」と言った。まったくもって意味不明だった。わたしは職場の誰にも体調の不良を悟られていなかったし、仕事の不備を指摘されることを繰り返したこともなかった。極端に言えば、誰にもばれずにうまくやっているのに休職をする理由が見当たらない、といった感じであった。
そのときの私は、一人になると身体が動かなかった。職場ではわたしは普通だったし、誰にも体調の不良を口にされたことはなかった。同じ事務の先輩と一緒に帰る帰り道も、楽しく帰っていた。しかし一人になると、身体が動かなくなった。歩けない、動けない。内臓を正常に機能させる脳機関も次第に狂い始め、体内は多くの支障をきたしていた。でも、わたしは対外的には何の問題もなかった。
こういう症状のことを、「失体感症」というらしい。
いまはいろんな症状や性格に対して、多くの便利な言葉が与えられていて、そのことにすごく感動を覚えるし、さらに言葉が存在するということは、当てはまる人がそれなりにいるということなんですね。
この辺に多くの課題や生きやすさへの近道があることは確かなんだけど、もう眠いのでまた今度にしよう。
人
「誰かと生きていくことって、素晴らしいことよ」
他人と生きていきたいなあ
特定のひとと向き合って、肯定しあいながら一緒に生きていきたい気持ちが爆発してる。
加齢かな