9日目

https://m.youtube.com/watch?v=Jq-0fKo3C_I


今朝、日向ぼっこをした。コンクリートの上を点滴台を滑らせて歩くのは、謎の高揚感があった。
ありが何匹もいた。蟻ちゃん、ant先輩…。冬には全くいないのに、気温が少し上がってくるとどこからともなく現れる。そんな彼らを目にすると、春が来たことを感じる。春は夏の前にある季節だけど、夏の準備期間かっていうと全然そんなことなくて、かなりの主役感がある。昔から春はずっと苦手だったので、今年もうまくやれるかなぁと不安になるけどきっとなんとかなるんだろうなぁと思っていると、てんとう虫まで見つけた。ついに春から逃げられない感じがしてきた。

病院の脇に座って空を見ていると、病院の壁が学校の校舎に見えてきて学生の頃を思い出したり、空の狭さからフィジーを思い出したりする。フィジーにはたった2週間しかいなかったし、いた頃は日本が恋しい気持ちがあったけど、今はフィジーがすごく恋しい。フィジーの空は、もう第一印象がでかいなぁで、そのあと何回見てもでっけーって感じで、とにかくでかいんですね。遮るものが何もないから。あんな空をいつも見てたら、きっと仕事なんかどうでもよくなったりしちゃうのかもしれないなぁ。

今日は普通30分しか入れないところを1時間お風呂に入らせてもらえるサービスデーに看護師さんがしてくれたので、歌いまくってやるぜというところです。

ねぇ私のことちゃんと見て

https://m.youtube.com/watch?v=pyEs3S703Qg

誰の存在だって 世界では取るに足らないけど

ぼくの世界は きみがあって 動いてる



入院して、今日で一週間が経った。

時間がたくさんあるので、この時間を利用して、なにか生産的なことしちゃおwみたいに毎日思うのだけど、漫画や本を読んだりTVを観たりサーフィン(インターネットという名の海にて)したり日記を書いたりして、ダラダラと過ごしている。何もタメになることなんかしてなくても、時間は過ぎていくなぁ。残酷。

「失わないと本当の大切さはわからない」というのは、真実かはまだわからないけど誰にでもよくあることで、上に貼ったBUMP OF CHICKEN のsupernovaにも込められたメッセージの一つ。本当にこれは人間の欠陥なのではないかなぁと思ったりする。

以前に病気を患い、まともに働いたり、歩いたり眠ったり食事をとるなどのことができなくなった時も、今みたいに入院して身動きが取れなくなった時にも、健康とか当たり前の日常の大切さに気づくよね。

またお見舞いにきてもらったりすると、あぁ私はこんなに普段から支えてもらったり応援してもらえていたんだなぁって気づいて感謝したくなります。

そして、誰に会ってもありがたいなぁと思ったり、何の曲を聴いても心に響いたり、日常が恋しくなったり、ちょっと涙が出たり、そんな訳ないのにもうダメなのかもしれないと思ったりするので、自分は少し弱っているということとそんなに強くないんだなぁってことを思い知ったりする。

今は人生の中での、目に見える休養の期間で、これが終わったら楽しいことたくさんして、会いたい人に会って美味しいものをたくさん食べるんや!って気持ちで、毎日過ごすのがいいんだろうなぁ。

楽しいことや面白いこと、話したいことや一緒に考えたいことを思いつく相手がいることは本当に貴重で、宝だなぁ。ありがたや。

退院したら会いたい人に会いに行こう。

I wanna feel ohuton no tumetaitoko


銀杏BOYZ - 夢で逢えたら

 

峯田さんの曲は、どれも本当に好きな人へのまっすぐな気持ちが表現されていて、一節一節に、わかるとコメントしたくなる。

 

先日読んだ本の中に、「人は8歳から10歳の間に、それまで育った生き方を基に人生の脚本を作成する。そして人生を通してその脚本を進行・確認していく作業をする」とあった。

他人との付き合い方や愛着、世界の中での自分の存在の仕方を、親から無意識にでも受けたメッセージを基に、それを人生をかけて確認していくそう。

だから親から蔑ろにされながら育った人は、自分を蔑ろにしてきがちな方を伴侶として選んだりするみたい。読んでないけど、ニムラヒトシさんの「なぜ愛してくれない人を好きになるのか」もそういう感じなのかも。愛着障害の人って本当に多いんだなあという感じです。怖いなあ。そういう自覚をなしにまたそういった人が誰かと結婚して、愛着障害を産むのであろう。

 

最近本当に心がズタボロになってる気がする。必要以上に他人の顔色が気になるし、何かにつけて自分はダメなのかもしれないと確認したくなるし、これは2年くらい休暇が必要な気がしてきた。

そんな感じで今日は会社休みました。1日中お布団と愛をはぐくんだけど、死にかけの胃は死にかけのままだし、頭の真ん中は痛いってずっと叫んでる。楽になれますのなら、またお薬を飲みたいとすら思う。

お~いメンタル~聞こえるか~俺だ~ 

…だめだ、こいつ…息してない…。

そもそも息してた時あんまなかった気がしてきた。

 

1年以上前に、会社に行こうと思って電車に乗ったけど、全然だめで(何がだめかはわからない)家に引き返したことがあった。そしたらそのとき通院してた病院の主治医の方が褒めてくれてすごいびっくりした。

いろいろなことが、頭ではわかっているんだけど、なかなか習慣からは抜け出せないなあといったところ。

著名人や偉人の多くは愛着障害を抱えていたそうで、だからこそ、その人の才能を特化した形で、障害の苦しさを芸術や哲学や音楽に昇華させることができたのだろうけど、私のような凡人は、そんなん抱えないで普通に自己肯定感持たせてもらって楽しく生きたほうが絶対良いです。はい。

教祖


BUMP OF CHICKEN『Merry Christmas』Full Ver.

 

ハロー

お元気でしょうか。

駅のホームで、お昼のふとした時間で、仕事の隙間にコーヒーを飲んでるときや、夜ふとんにくるまった時に、あなたやわたしのことを考えます。

この間、「どうせ死ぬまでの我慢だもん」って言葉を聞きました。その通りかもしれないのです。

 

歩いてきたところが、急になくなってしまいました。

今まで一つ一つやってきて、確かめて、またやってみて。これで良いと思って育ててきたものが、それは違うと否定されて。ただ間違っていると否定されたんじゃなく、何年もかけて積み上げて、なんなら積み上げることも手伝ってもらったようなものなのに。

 

いろんなことの定義から崩れてしまいました。それは恋だとか大切にするだとか、そういうものだと信じてきたのに、そうじゃないと言われてしまった。

小さいころ、私の道は真っ暗で、そこに灯っているはずの街灯はぶち壊されてて、それをどうやってつけていくのか、一つ一つずっと、試してきた。火でつけるんですか、電球をはめるんですか、スイッチがあるんですか、はたまた点灯夫さんがいらっしゃるのでしょうか。

 

また一から、それを探さなければいけないのかもしれないという気持ちが強く、そうすると、なんだか死ぬまでの我慢なのかもしれないということがすごくしっくりくるのです。

 

 

権力とひるね

渾々と湧き出てきます。こんこん

ゆ〜きやこんこんよりも、こんこんと、きつねも顔負けくらいにこんこんと。ただひたすらに。


電車の中で松潤午後の紅茶の広告に出ていて、少し微笑みながらお箸を持ってるそこに「オベンティー」って。オ、オベンティー…。

本当かどうかなんかどうでもよくなるくらい、「松潤の彼女」と言われてる井上真央、めちゃくちゃ羨ましいです。「あの、嵐の、松本潤を、独り占めにしています」と首からプラカード下げているみたいで本当羨ましい。まじかよー嘘でもすげー


今朝いろいろ思い出したけど、権力を翳して寝ようとする人がいるし、それが大好きな人は男女ともに多くいるよね。

「合コンしようよ」「えー」「俺伊◯忠だよ〜同期連れてくよ」
シャッター閉めるね。閉店です。
わたしはじぶんちの布団が最愛のパートナーっす。
 
一人暮らしをしてたときよりも、家族がいる中で一人で部屋にいるときの方が、なんだかものすごくつらいので、つまりは家を出た方が良いんだと思うのですが、なによりお金がない。
もう一つ働こうかとも思うけど、マイナンバー氏が現れたことにより、それも容易ではなくなってしまいました。
 
今朝、電車で座ってたら、隣のカップル(推定60〜70代)が2人揃ってバナナ食べ始めてた。車内が一気にトロピカル。むしろトロピカルなのはわたしの鼻腔とその2人だけかも。
 
 
最近分かった事を書き出してみる。
・親から条件つきでしか愛情をもらえなかったことで、愛情が常に枯渇している。
・素のままの自分では愛されないと思っている。頑張らないと人から好きになってもらえないという思い込み
・親に似ている人に惹かれやすい→その人に愛してもらうことで親から満たしてもらえなかったものを満たそうとしている節がある
・他人の欲望が透けて見えやすい→その欲望を満たしてあげれば愛してもらえると思ってる
・(好かれるために)他人を過剰に喜ばす→他の人からは認めてもらえないような人ばかりが寄ってきて、増長しだす
・自信があって自己肯定感の高い人は一目でわかるし怖い→何をして喜ばれたら好きになってもらえるかわからない、嫌われたままだと感じている


話しがごっちゃごっちゃ
明日は展示会です!

おれより強いやつに会いに行く

 

HUNTER×HUNTER読みたい。

漫画界の冨樫(そのまま)の実力目の当たりにした過ぎる。

 

今年のバレンタインは、どうだったのかな。

バレンタインてこう、お互い距離縮めあってたり、距離縮めちゃいたいですみたいなときに活躍しまくるものだと思っていたけど、なんていうか、謎に会社とかだと配らなきゃいけないみたいな空気がめちゃくちゃあるよね。そして自分ひとりが、配らなくていいか~と思って無視してたら、先輩やなんかが配り始めちゃった日には、もう。細かすぎて伝わらないモノマネの、床が抜けて落ちてくみたいな、あんな感じで、そのまま退職してしまいたくなるよね。でもまあ今年は日曜日だったのと、先輩社員の方が、「配らなくていいよね…?」っつって聞いてきたことで、弊社(そしてわたし)の今年のバレンタインは中止となりました。(やったネ)

 

 

謎分野

9時前に出社して、本日の業務は9時48分で終わりました。仕事が好きです、ええ。

 

「深淵をのぞき込むとき、深淵もまたお前をのぞき込んでいる」とニーチェは言ったけど、わたしの深淵は除きこんだらそっぽを向いているような気がしたよ。

 

自傷行為をする人の心理が読めなくて、こないだ人に聞いたら「達成感を味わうためだよ。自分ひとりの力で、自分の行動で、自分がやろうと思ったことを実際にやり遂げることを簡単に見ることが出来るから」って聞いてたけど、4割くらいしかしっくりこなかった。

でも昨日わかった。たぶん自傷行為をする心理の一つは、「普通はしないこと、をしている自分に対して、自分が価値を感じられるから」だなと思いました。自傷行為をしている人に多く当てはまるのは、自分への無価値観や自己評価の低さらしい。

1~2年前に精神科医の先生が「手を切ろうと思う精神状態はふつうではない」と言っているのを聞いたけど、手を切っている人は割と泣きわめいたり痛がったりせずに、淡々と黙々と、切っているのでは、と思う。どんなにお薬飲もうと、自己評価や世界の見え方が変わらなければ、死ぬまで地獄ですね、といった話。